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ARTICLESLGBTQ+やジェンダーレス関係の記事をお届け!

昔から、自身に向けられる『かわいい』という言葉が苦手だった。

 

背が低く、童顔。見た目に対する評価は、「小さくてかわいいね」「赤ちゃんみたいでかわいいね」、そんなものばかりだった。

今の自分になるきっかけは、そんな評価への反発心だったのかもしれない。

 

僕は現在、Xジェンダーとして生きている。女としても、男としても、見てほしくはない。

 

この感覚を表す性別は、女ではなく、『X』だと思っているからだ。自身のセクシュアリティに気づいたのは20歳の時だったが、遅い方なのではないかと僕は思う。

 

それまではずっと女らしい髪型と服装をして生きていた。

今思えば笑ってしまうが、女がかっこいい髪型や服装をすることは、「運動部にしか許されない」と思っていた。

そうでない女は、女らしい格好でいるべきだ、と。それでもずっと『かわいい』は苦手だったし、女性性を押し付けられることも苦手だった。

 

そんな僕の転機は、あるSNSの配信者を知った時だ。

その人は女性だったが、男性と見紛う(みまがう)ほどにかっこよかった。

 

その人を見たとき、脳を思い切り殴られたような衝撃が走った。どんな女でも髪を短くしていい。好きな服を着ていい。これが僕の目指す場所だと、思った。

 

「人間は性別や所属に関係なく好きな格好をしていい」、その時やっと当たり前のことに気づいたのだ。

 

だから思い切って髪を切った。

レディースの服を捨て、メンズの服を着た。急に変わることが怖くなかったわけではない。

周りの反応は怖かった。

それでも短い髪にかっこいい服装の自分は、誇らしかった。

それまで大して凝っていなかった服に興味が出た。服を選ぶのも、鏡に映ることも、何もかもが楽しかった。

 

だが、全てが順調だったわけではない。

自身のセクシュアリティに気づくことが遅かったからこそ、「いったい僕は何者なのか」と気になり始めたのだ。人は自分が何なのかわからなければ、不安に思うものだ。

自分が何者なのか、答えを探して学ぶうちに、『Xジェンダー』という性を知り、ひとまず答えにたどり着いた。

 

本当は女なのだろうか。かわいいという言葉に、反発しただけではないか。

しかし女でも男でもいたくないのだ。

だが男として扱われると嬉しい。

いったい僕はなんなのか。僕の中ではまだ、色々な不安や疑問が渦巻いている。

 

しかし今は、こうも思う。

短い髪に、かっこいい服装。

そんな僕が一番自分らしく、一番楽しい。

 

一度の人生なのだから、誰に何を思われようと、僕がなんだろうと、一番望む自分で在ればいい。

 

そこさえブレなければ、きっと大丈夫だと。